手塚治虫さんの先祖も適塾生であった。
大阪、船場、今の北浜に幕末の頃に、緒方洪庵が塾主であった適塾(蘭学塾)。
医者としての洪庵の名はすでに長崎時代からそれなりに知られていたそうです。
その業績をもって、1838年に適々斎塾(通称:適塾)を開塾し、大勢の塾生を
擁した過書町(かいしょまち 現在の今橋3丁目界隈)のころの25年間の姓名録
(入塾者記録)には、637人の名知ることが出きるそうです。
後に適塾生から教育者の福沢諭吉をはじめ多様な人材を輩出した。
多くの塾生は郷里に帰って医者になっている。
そんな中、漫画家として知られる手塚治虫氏の先祖も江戸から来た適塾生
であって、江戸に帰って幕府に仕え、新政府でも尊重され、西南の役には
政府の軍医として従軍し、熊本で腸チブスで亡くなっている。
月間 漢方研究 大阪医薬史跡を訪ねて より